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ホルンという楽器の魅力

ホルン
 ホルンという楽器は無限の魅力を備えている。
 フルート、トランペットのようなオーケストラにおける花形楽器のように分かりやすく、輝かしい存在ではないが、音楽に例えようのない深みを与えてくれる。

 ホルンの存在しないオーケストラは出汁をとっていない椀物のようなものだ。
 よく言われる、「ホルンの実力によって、その楽団の実力がわかる。」という言葉は確からしいといえるだろう。

 なぜなら、ホルンという楽器はギネスで登録されているように、管楽器の中で演奏が最も難しいとされている楽器だからだ。
 
 なぜ最も難しいとされるのか。
 倍音の豊富さ、その非常に多くの倍音をコントロールするマウスピースの小ささ、求められる音域の広さ(なんと4オクターブ!)そしてオーケストラで求められる音質、役割の多さなど、理由は多岐にわたる。そして、ホルンは木管楽器と違い、それをキイ(つまり指)では無く、唇のみでコントロールしなければならない。
 しかし、そのコントロールの難しさをしっかりと制御できている奏者によるその音色は他の楽器にはない何にも代えがたい魅力に溢れている。

 ホルンという楽器の美しさ、それはただのロングトーンでさえも音楽をドラマチックにしてしまうところであろう。
 シューベルトの交響曲「未完成」においてもそれは明らかだ。
 シューベルトは単なる一音のみのロングトーンを他の誰にでもなく、ホルンに与えることによって、音楽の世界を一気に変えるという事を実現しているのだ。

 そして、ホルンの魅力の真骨頂は何と言っても、ホルンアンサンブルによるハーモニーの美しさだろう。
 ホルンならではの、奥深く、おおらかでふくよかな音によるハーモニーの美しさといったら、それは他の楽器では表現しきれない極上のものだ。
 ホルンは多くの場合、1stから4thまでパートがあり、それぞれハイトーンからバスの領域までホルンパートのみで演奏できてしまう凄さがり、それ故に、表現できる和音が分厚い。

 コラール風のエチュードをホルンパートのみで吹かせてみるといい。それだけで音楽が感動的に完成してしまうことに驚くだろう。 
 シューマン、ブラームスそしてマーラーなどのシンフォニーにおいても、ここぞという感動的な主題をハーモニーでホルンに任せている部分がとても多い。
 作曲家は、このパートをどの楽器にまかせることで音楽を一番効果的に素晴らしいものにできるのかを知っているのだ。
 楽器を演奏するものであればプロアマ問わず、憧れの奏者というのが居るだろう。


 あの憧れの奏者の音を、生演奏で聴いてみたい・・・とう夢は楽器を演奏する上でのモチベーションにもなる。
 音色は不思議なほど、その奏者によって個性があるし、楽曲によっても、それぞれ奏者による解釈の違いがあり、それはクラシック音楽を聴く上での大きな楽しみの一つであろう。
 そんな私も例にもれず、夢を抱いていた者であり、そしてその夢を叶えることができた。
 
ある年の12月、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の季節である。
 地方に住むわたしは、いそいそと準備を整え、東京へNHK交響楽団の第9を聴きに行ったのである。NHK交響楽団のホルン主席奏者、福川伸陽さんの生音が聴けるのである。

 緊張感ある短調の調べから曲は始まり、そして福川さんのソロがはじまった。
 世界にはばたく名ホルニスト福川伸陽さんの音色は、絶品だった。
 ふくよかで、絹のようになめらかでありながら芯のある、ホールの隅々まで届く音。柔らかなのに輝きをまとった、しかしギラギラと主張しすぎない上品な音。
 ここのソロのフレーズ自体はとてもシンプルな音型で、ドラマチックな要素のものではないのだが、その洗練されたホルンによる絶美の音のみによって、非常に印象的なソロのフレーズとなって未だにずっと頭の中に残っている。

 また別の機会には、ホルンの真骨頂である、ハーモニーの美しく重厚な響きを生演奏で味わうことができた。
 ホルン吹きにはなじみ深い、シューマンの「4本のホルンのための小協奏曲」である。
 最初から最後まで、ホルンの伸びの良いハイトーンと、しっかりした重量感のある低音のハーモニーが味わい尽くせる曲だろう。

 10月11日のEテレではそれを日本が、世界が誇る名ホルニストたちによる演奏によって聴くことができる。ホルン吹き、それだけでなく、ホルンに注意を払ってこなかった人たちに聴いてもらいたい。
 ホルンという一見地味な楽器が織りなす、ほかの管楽器では成しえない音楽の厚み、無限の可能性を理解できるはずだ。
 
 ホルンという楽器の魅力は果てしない。音楽を完成させる楽器といっても過言ではないだろう。一度ハマるとその沼にどっぷりとつかってしまうし、ホルン吹きは自分の出すその音が音楽にしっかり溶け込んだ時のあの恍惚とした感覚が忘れられないのだ。
 今回、その沼にはまる者がどれだけいるだろうか。楽しみである。
 
 

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